【大久保登喜子の 今日も馬日和】〜Tokiko’s Horsy Journal〜 戸本一真選手に聞く

大久保登喜子 TOKIKO OKUBO

長年にわたって、「乗馬ライフ」「馬術情報」などの編集・制作に携わり、国内外の馬術競技会や、馬のイベント、選手、馬に携わる人たちを取材、交流を続けている国際馬術ジャーナリスト。著書に「ヨーロッパ夢の競馬場 ぜ〜んぶ馬の話」、翻訳書に「クラウス・フェルディナンドの触れ合い調教法 馬と踊ろう」、「ホースライディングマニュアル」などがある。

 

戸本一真選手に聞く

東京2020オリンピックまでと、その後のこと

 

アイルランドのカポクィンCCI4*-Lで優勝した戸本一真とヴィンシーJRA号、右のユートピア号でも7位につけた。(戸本選手提供)
 

 7月24日〜28日、アイルランドで開催されたキャンファー国際ホーストライアル、カポクィンCCI4*-Lで戸本一真とヴィンシーJRA号が優勝した。東京2020オリンピックでメダルが期待される中、世界のトップに通用する実績を次々と挙げている戸本一真(JRA馬事公苑)に、アーヘンCHIOのさなかに話を聞いた。
戸本はアーヘンCHIO大会に出場する唯一の日本選手のはずであった。ところが、アーヘン大会総合馬術競技に先立つ7月18日の第1インスペクションで、乗馬のタコマ号が不合格となり、競技出場はかなわなかった。
バドミントンの5スター完走、チャッツワース4スター優勝、アイルランドのバリンデニスク4スターでワン・ツーをひとり占めしたことなど、好調の波に乗っている中でのインタビューの筈だった。
そこへまさか第1インスペクション不合格である。クロスカントリーコースの下見も済んでいるのに、出だしから厳しい結果になった。とはいえ、スポーツには運不運は付き物、インスペクションの終わった夜にじっくり話を聞いた。

 

タコマ号のアーヘン・インスペクション不合格で思い当たることは?

――タコマ号がインスペクションを通らなかったため、アーヘンCHIOへの遠征は事実上、無駄足となりました。不合格の原因として何か思い当たる節はありますか。(大久保―以下省略)
戸本「タコマは昨年のトライオンWEGで団体4位だったときの乗馬ですし、5月のバドミントンCCI5*-Lも完走しています。五輪出場資格はクリアしているので、アーヘンに来たのは、経験を深めるためと、評判の高いアーヘン大会を一度体験したかったからです。トレーナーのウィリアム・フォックス・ピットからもアーヘンを一度体験してこい、と言われましたので、インスペクションを通らないなんて考えてもみませんでした。
 タコマは2015年の冬から乗っていますが、2016年の冬に半年休むほどの大怪我をして手術をしており、傷跡がしこりのようになっているため、普段から歩様が少し固いのですが、今回は跛行という判断が通ってしまったのです。
 今朝もいつものように乗ってきましたが別段気になるところもありませんでしたし、自分としては普段通りなので何の心配もしていませんでした。
 もしかすると、インスペクションの会場の地面に少し右側に傾斜があったので、タコマにはつらかったのかもしれません。
アーヘンでは運が悪かったのだと思いたいですね。でも、“普段通りだから問題ないだろう”という考え方こそが今回の失敗を引き起こした最大の原因であり、客観的に診て馬の状態がどうなのかということを判断していかなければならないということだと思います。
今回のアーヘンは苦い思い出として終わってしまい、応援していただいていた皆様には本当に申し訳ない気持ちで一杯ですが、この失敗を繰り返さないようにすることが必要なことだと感じています」

 

アーヘンCCI4*-S競技開始前のインスペクションで。戸本一真選手とタコマ号 ©Tokiko OKUBO

  

明治大学馬術部キャプテンとしてのいい思い出

 ――馬術歴を初めからお願いします。明治大学馬術部のご出身ですね。
戸本「明治大学では馬術部のキャプテンで、いい思いをさせてもらいました。明治大学が全日本学生を17連覇したときの4年間を過ごせて幸せでした。長田監督の下、全日本学生で障害1回、馬場2回、総合1回優勝しています。
 僕は乗馬クラブ経営者の子供ではないので、大学を卒業しても馬から離れないでいるために、大学2年生の時には既に「JRAに就職したい」という気持ちでした。成績が悪くては就職できないことは分かっていたので頑張りました。

 

インスペクションで保留になったがついに不合格。戸本とタコマ号 ©Tokiko OKUBO
  

2006年JRAに、少年団の指導も
 2006年春にJRAに入会することができ、お陰様でそれ以来JRAのサポートでここまで来ました。
就職したときは馬事公苑の所属で、土・日には少年団の指導などもしていました。教えることは自分のためにもなるので楽しかったです。教えるって意外と難しいです。自分の感覚で伝えても、子供にはさっぱり伝わっていないこともあります。そこで、言葉のチョイスが悪かったのか、など反省しながら指導しました。子供は素直に“あの先生はわかりやすい”
“あの先生は怖い”といったように噂をしてくれます。当時の子供達が私のことをどう思っていたのか分かりませんが人気のある先生だったと思いたいですね。
 2007年シーズンは馬インフルが流行して、後半はほとんど試合に出られなかったです。馬事公苑に2年いて、栗東のトレーニング・センターに異動になりました。栗東での2年間は馬術とは関係のない部署だったのでデスクワークばかりで馬には乗れず、その時は悩みました。その後、競馬学校での教官業務1年間を経てまた馬事公苑に戻り、現在ではこの通りイギリスで学ばせてもらっています。
栗東や競馬学校にいたことは、思い描いていた人生計画とはちょっと異なりましたが、今となってはどちらもかけがえのない素晴らしい時間だったと思っています」

 

アーヘンCHIOの大会本館内にて ©Tokiko OKUBO
  

ウィリアム・フォックス・ピットのこと

――今、ウィリアム・フォックス・ピットの厩舎にいらっしゃいますね。彼をトレーナーに選んだ経緯を教えてください。
戸本「オリンピックを目指すことになって、まず、明治大学馬術部の先輩でもありシドニー、アテネのオリンピックにも出場した土屋毅明さんのイギリスの厩舎に1年半お世話になりました。
渡英当初は、馬とトレーナーを一緒に探してもらうという予定だったのですが、日本語が通じる気楽さで何でも土屋さんに頼ってしまっていることに気づき、もっと厳しい環境に身を置いてひとり立ちしなければとウィリアム・フォックス・ピットにお願いすることにしました」
 
――ウィリアム・フォックス・ピットという人はイギリスの総合馬術選手で長年FEI世界ランキングのトップにいて、総合馬術のレジェンドのような選手です。私の印象としては背が高く、貴公子のような雰囲気の選手ですが、いいご縁がありましたね。
戸本「ウィリアムが落馬で大怪我をして、リオ・オリンピックの後は第一線を引退するかもしれないという情報があったので、それならば、これからトレーナーになるのなら日本人を受け入れてくれるかもしれないと思いついて、お願いしたわけです」
 
――フォックス・ピットさんはどんな方ですか、どんな指導を受けているのでしょう?
戸本「厩舎はイギリスの南部ドーセットにあります。場所を説明すると、ロンドンのヒースロー空港から真西へ200キロほど行ったあたりです。
ウィリアムをひとことで表すとすれば、“器が大きい”。大きいのは体だけではなく、心が大きくて人柄がよく細かいことは気にしません。
普段から“何があってもオリンピックに向かっている途中の経験だと思って受け入れればいい”と言われています。少々のことがあってもお前の人生においては大したことではないだろう、と言われるととても気が楽になります。今日のインスペクション不合格も、“それがどうした? オリンピックに出るまでの良い経験のひとつだよ”と言ってくれました。
総合馬術に対する技術や知識はもちろん教わっていますが、大きな「くくり」で馬というものの考え方、物の考え方を教わっている気がします。トレーニングは時間を決めてレッスンをやるというよりはポイント、ポイントをチェックしてくれます。身長が違うので、乗り方や感覚は違いますが、ウィリアムは「俺ならこう乗るが、お前は違うな」というように私に合わせてアドバイスをしてくれます。
この厩舎に来てちょうど丸2年、夫妻は4人の子持ちで、奥さんは元ジョッキーです。バドミントンに出場したこともあるそうですが、今は競馬のコメンテイターなどを務めています。パワフルなお母さんという印象で、普段から本当にお世話になっています」
 
――精神的にも尊敬できるトレーナーに巡り合ってよかったですね。まずは東京オリンピックに向けてまっしぐら、頑張ってください。
ところで、オリンピックに向けて馬は何頭保有していらっしゃいますか。

「タコマをはじめとして、ヴィケンティ、ヴィンチJRA、ユートピアの4頭です。全てオリンピックを戦える馬なので、これらの馬に騎乗するチャンスを与えていただいたJRAには本当に感謝していますし、私はすごく恵まれていると思います」
 

夢は五輪プレッシャー抜きで競技に出ること

――将来のことをお聞きします。2020年東京オリンピックの後はどういう計画ですか。
戸本「今はまず東京五輪に向けて進んでいますが、その後のことは正直いって今はまだ何も分かっていません。JRAにサポートしてもらってここまで来たので、JRAの方針に従うのは当たり前ですし、これほどの素晴らしい経験をさせてもらっているJRAに対して自分なりに恩返しをするのが使命だと思っています。
 欲をいえば、オリンピックに出るというプレッシャーを抜きにして、今の馬たちと共にバドミントンやアーヘンなどの大きな競技会に出てみたいですね。」

 ――ありがとうございました。来週のアイルランド遠征、頑張ってください。

(2019年7月18日、ドイツ・アーヘンにて収録)

  


広大なアーヘンCHIOの会場の一隅で、午後11時になってもこの通りの賑わい ©Tokiko OKUBO